※ネタバレあり
大人たちのこうあるべきだ、こうじゃないと幸せになれないというエゴに溢れた未成年時代。それは決して間違いではないものの、無数に広がる世界への希望の芽を摘む行為になり得ることを身に染みて実感した作品だった。
親が子に苦労せず立派な人として、尊敬され幸せな人生を歩んで欲しいと願う気持ち。
私自身、親がそういう気持ちの強い家庭で育ったから、自殺した少年の気持ちが痛いほどよくわかった。子供の頃から、「○○は何になりたいの?」そうあえて聞かれても、その答えは1ミリも思考を働かせなくても決まっていた。その道を答えるしか、私には選択肢はなかったと言った方が正しいかもしれない。
だから、私は「セーラームーンになりたい(時代よ)」とか「お花屋さんになりたい」とか女の子たちが夢みる夢を夢見たことは一度もなくて、保育園の卒業絵日記にはすでに産まれた時から決まっていた夢を描いていた。こんなこと20年ぶりくらいに思い出した。(あ、嘘。保育園以前はセーラームーンのコスプレしてたわ。そういえば)
でも、いやいや言わされていたわけではない。私自身も、本当になりたいと思って答えていたと思う。
(結局私は、途中で爆発して反抗して一切勉強も宿題もしなくなって、今思えば自分の人生を自分の意思で決めようと必死だったんだと思う。そして、全く別の道に進んで今ではまあまあ満足している。幸せなことに、親は私が決めた道を全力で応援してくれてて感謝しかない涙)
そして、多分この少年も同じで、なることが当たり前で、なりたいことが当たり前だったんじゃないかなという気がする。
私は、ロビンウィリアムズ演じるキーティング先生みたいな素晴らしい考えを持つ人と出会わなかったけど、この少年は幸か不幸か出会ってしまった。
そこで、本当の自分の声を聞くことになってしまった。それは、本当に幸せなことなのに、結果的に絶対に起こってはいけない悲劇になってしまって、もう、胸が張り裂けそうな思いで観てた。
誰が悪いのか。そんなこと考えたくもない。
親が悪いのか。違うと思う。
子供の幸せを願って、時には厳しくの厳しくが絶妙なタイミングではまり込んでしまった。
親が子を思う気持ちは、私自身も痛いほど実感してきた。
だから、この作品の結末は重くて辛くてたまらなかった。
キーティング先生に出会わなければ良かったのか。違うと思う。
自分の本当にしたいことに気づいた少年は、少なくとも人生のひと時を自分の意志で生きていたわけだからね。
ロビンウィリアムズの映画は時に幸せにハッピーな気持ちになるけど、時にはずうんと重くて少し引きずってしまう作品もあるなあ。
日本人は特に自分の意見を堂々と言うのが苦手な人種だというけど、その中でも私はトップレベルのその種だと思う。
だから、キーティング先生の発言にたくさんの希望を感じた。もう立派な大人だけど、この作品に出会えてよかった。
こうあるべき、この方が幸せになれる。
そんなのは、その人生しか歩んでない一個人の発言。
違う人間には違う考えと歩んできた、これから歩む人生がある。
こういう生き方もあるんだ、この方がより幸せそうだな。
押し付けたり押し付けられたりするのではなく、全てに対して、本当は何を望んでいるのか?何が大切なのか?自問自答しながら自分自身で選択していきたいし、そういう接し方をしていきたい。
”詩を読む時は、作り手の意図より自分の意見を大切に。自らの声を見つけなくては”
詩の読み解き方の概要を破り捨てさせた、キーティング先生のこの言葉にハッとさせられた。
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